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エイズで逝った伝説のスーパーモデル

エイズで逝った伝説のスーパーモデル

アンジェリーナ・ジョリー。2010年以降は監督業や慈善活動の方が忙しいが、今でも彼女の出演した映画が旅先のホテルで流れていたりするとついつい観てしまうことがある。恋多き女性独特の色気を感じ、引き込まれてしまうのだ。

先日、ある飲み会でそんな話をしていたら、彼女の出演作品のどれが好きかという話になった。「トゥームレイダー」という人もいれば、「17歳のカルテ」という人もいる。僕は「ジーア/悲劇のスーパーモデル」を挙げた。テレビ映画だが、彼女は、この作品で二つの主演女優賞(ゴールデングローブ賞とエミー賞)を受賞し、その後、DVD化され、日本でも観ることができるようになった。彼女の色気と美しさと危うさがあふれ出す作品である。特に金網越しで演じる彼女のヌードシーンは圧巻だ。

その映画のシーンの元になった写真を拝見した。映っているのは映画のモデルになったジア・キャランジ。1970年代後半から1980年初めにかけて活躍した伝説のスーパーモデルである。僕は昔、女性ファッション誌の編集長をしていたことがあり、その時に何度か彼女の名前を聞いたことがあった。物覚えが悪い僕がなぜ覚えているのか。彼女はレズビアン(バイセクシャルという説もある)で、エイズで亡くなった女性有名人の先駆者と聞いたからだろう。当時、偏見が強かった同性愛者とエイズは男性特有のものだと思っていたので衝撃を受けた。彼女がエイズになった原因はドラッグの注射針からの感染だったのだが。

父はイタリア系、母はアイルランド系の血をひき、当時、VOGUEなどファッション誌に掲載されている彼女の写真から漂う危うい美しさは吸い込まれてしまう。彼女はニューヨークでモデルとしてデビューし、瞬く間にスターダムにのし上がった。1970年代後半、彼女のファッションショーの一回のキャットウォークのギャラは一万ドルだったそうだ。人気絶頂の中、彼女はカメラアシスタントのリンダと恋に落ち、一時はうまくいっていたが失恋に終わる。愛に飢えているジア・キャランジの生活はリンダとの失恋で破滅していく・・・と映画では描かれているが実際は少し違う。

彼女の母親代わりだった事務所の社長ががんを患い、40歳という若さで亡くなったことがきっかけだった。失意で破滅していくことには変わりないけれど。彼女はドラッグに走っていった。ファッション業界にドラッグが蔓延していた1970年代後半のニューヨークという時代背景もある。

モデルを辞め、リハビリ施設に入り、ジーンズの販売員やレジ打ちなど一般社会の中で勤めてみたが続かず、再びドラッグに戻る。その繰り返しで結局、更生できなかった。最後はホームレスのような暮らしをしながらドラッグを求め続け、注射針からエイズに感染し、亡くなった。26歳という若さだった。

「SEXはいくらでもできる。でも、愛はなかなか見つからない」

時折、この彼女の言葉を思い浮かべることがある。

「ジーア/悲劇のスーパーモデル」
1998年 アメリカ 126分
監督:マイケル・クリストファー
出演:アンジェリーナ・ジョリー、エリザベス・ミッチェルほか

2017.10.25

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イシコ

イシコ

女性ファッション誌編集長、WEBマガジン編集長を歴任。その後、ホワイトマンプロジェクトの代表として、国内外問わず50名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動を行い話題となる。一都市一週間、様々な場所に住んでみる旅プロジェクト「セカイサンポ」で世界一周した後、岐阜に移住し、現在、ヤギを飼いながら、様々なプロジェクトに従事している。著書に「世界一周ひとりメシ」、「世界一周ひとりメシin JAPAN」(供に幻冬舎文庫)。

セカイサンポ:www.sekaisanpo.jp